リゼット(14新)推奨日記

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譜面と動作と「ゲーム性」

はじめに

この記事では、音ゲーにおいて「このゲームは何に挑むのか」という非常にふわっとした話を、「譜面と動作」という観点から述べてみたいと思います。もちろん一連のユーザーエクスペリエンスにおいては、譜面だけでない無数のカテゴリ(音楽、UI、システム、デザイン、イベント、他ユーザーとの関係…)があることは承知しています(ゲームが総合芸術である、とはこういうことですよね)が、この記事ではあえて「与えられた譜面・プレイ環境と、それに対する一連の動作の関係」に絞って論じていきます。
標題に挙げた「ゲーム性」という言葉。私はいまいち苦手で、それは何をもって「ゲーム性」とするか明確な定義が何一つないからではありますが、うまく一言でまとめられる言葉が他に見つからなかったので使用しました。本記事中では「そのゲームをそのゲームたらしめているアイデンティティ」と解釈していただければと思います。

処理コストと処理ボリューム

さて、この「譜面と動作」というプロセスにおいては大きなファクターが2つ考えられます。ここでは、「処理コスト」「処理ボリューム」と呼んでみたいと思います。それぞれについて検討していきましょう。
※以下、1ノート(あるいはそれに類するプレイヤーに動作・無動作を要求する単位)に対する一連の動作を単位処理と表現します。

  • 処理コスト

単位処理にどの程度視認性への複雑さを与えられるか、単位処理にどの程度の身体的な運動量が要求されるか。
具体的に表現すれば、それぞれ速度差や特殊ノート、指を中心とするゲームと腕や足など身体を使用するゲームの差異が該当します。
前者は、低BPM、高BPM、あるいはソフランや停止のように単純に視認性を制限するパターンや、ロングノートのような特殊ノートに限らず、同じ密度であってもREFLEC BEATのように斜めにバラバラに落下してきたりBeatStreamのように配置場所によってノートの性質がまったく違ったり、SOUND VOLTEXのツマミやCHUNITHMの各種ノートのように実際の操作の単純さに比して過剰に見た目を難しくできる場合など、様々なケースが考えられます。
また、後者は、beatmania IIDXのSPやGuitarFreaksのようにほとんど指先だけの固定配置でプレイできる運動量の少ないゲームに対し、似たようなゲームでもpop'n musicやjubeatは指に加えて腕の移動を要求しますし、maimaiなどは上半身、DrumManiaDDRでは足を含めた身体全体の運動を要求しています。
後者の要求する運動量は企画〜ハードウェア段階での設計に依存するところが大きいので、譜面設計段階では主に視認性側に負荷をかけることが多くなります。(連打連皿、あるいは単純に遠い配置を増やすことで運動量も増やすことは可能ですが)

  • 処理ボリューム

単位処理をどの程度の回数こなさなければならないか、単位処理に対してどの程度の正確さが要求されるか。
具体的に表現すれば、それぞれノート量、判定の厳しさに該当します。
前者は、単純にノート間の密度を調節することで表現可能であり、旧来からの音ゲーにおいては特に高密度化が顕著なものとなっていますが、少数の入力領域(あるいはそれを表象する少数のレーン)しかないゲームでは高密度化に限度があり、どうしても縦連に向かわざるをえないケースなどが発生しますし、そうしたゲームではこの要素を避ける方向での高難度化を目指す傾向にあります。
また、後者は、これまた機種によって様々なデザイン方針がありますが、おおむね企画〜ハードウェア段階で想定される処理コストに合わせて、処理コストが高いものほど緩やかに、低いものほど厳しく設計されているのではないかと考えます。
後者の判定の厳しさは企画あるいはアプリケーション設計段階でデザインされ、基本的には機種ごとに固定値(もちろん譜面によって特別に厳しい判定、緩やかな判定などの例外もありますが)となるため、おおむね譜面設計段階ではノート量側に負荷をかけることが多くなります。

  • 処理総量=処理コスト*処理ボリューム

処理コスト、処理ボリュームについて論じましたが、これらを乗ずることで1曲の演奏に必要な処理リソースを表現することができそうです。ここから、単位処理に対する処理ボリュームを大きくすることで、処理コストを増やすことなく難易度を上げることできますし、単位処理あたりの処理コストを大きくすることで、単位処理を増やすことなく難易度を上げることができることがわかります。ただし上述したように、いずれのファクターにも環境的な制約がかかってくるため、実際に譜面設計段階で調整できるのはおおむね視認性かノート量、ということになってきます。
ここに、環境面となるゲーム本体の運動量や判定の厳しさが加わることで作られた譜面パターンの認識と各動作の選択・繰り返しが、各音ゲー独特の「ゲーム性」を生み出すと考えています。

実例による考察

音ゲーの中でも比較的かなり古い部類に入るゲームです。DPはプレイ感がかなり違ってくるので割愛させてください。
まず、処理コストについては現行音ゲー機種の中でもかなり低い部類に入ると考えられます。
認識性としては、表示は至ってシンプル&スタンダードであり1つのノートをしっかり捉えて押すことも多数のノートを認識することも容易ですし、速度調整もかなり自由が効き一部のソフラン曲を除いては速度差を意識せずにプレイできます。
運動量でも物理的に遠い配置が皿以外になく、ほぼあるいは完全に運指を固定できる人もいれば皿側を適宜崩す人もいますが、固定運指を学習した一定レベルの中級者以上であれば、腕の運動量はかなり小さくすみます。
一方で、処理ボリュームはかなり大きく設定されています。
ノート数は全AC音ゲー中でも最大級の密度があり、2分間の中に中難度でも1000ノート、高難度では最大2000ノート超が詰まっています(他社のゲームにはコンボシステムの関係で2000とか3000とか行くやつもありますが実ノート数はそこまでではありません)。
判定もかなり厳しく取られています。(よねくんさんの2014年のアドベントをご参照ください。)
これらからIIDXというゲームは、低い処理コストで捌けるノート群を大量に処理する没入感、あるいは余計なストレスなく高精度を目指して打鍵する集中力を楽しむことが、譜面と動作の関係の間でもたらされる「ゲーム性」として表現できそうです。

  • maimaiの場合

逆に、比較的最近の非コナミ音ゲーとしてmaimaiを検討してみます。
まず、処理コストについては、他機種と比べて比較的高い部類に入ると考えられます。
認識性としては、タップ等のノートは画面中央さえ見ていれば取れるようにできていますが、スライドの仕組みが非常にやっかい(最初のタップから時間差でスライドが始まる、スライド速度の事前把握が慣れないと難しい、画面スペースを大きく取るため重なると非常に認識困難)であるため、特に上位譜面ではかなり視認難の部類に属します。ただし、速度固定であるためスライド速度以外でBPMの高低や変化を意識しなくてよい点は認識を楽にしています。
運動量は上半身全体を使用し腕を上下に動かすためかなり大きくなりますし、特にスライドは1ノートでかなりの運動量を要求します。フィジカルゲーと表現してもよいでしょう。
一方、処理ボリュームは比較的低めに設定されています。
ノート数は腕2本で取るゲームであることから、中難度で400ノート、高難度でも最大1200ノート程度ですが、一つ一つの処理コストが大きいためあまりそうは感じないかもしれません。
判定は(BREAKで最高得点を取ろうとしなければ)かなり緩く、ある程度慣れればプレイアブルな譜面においては一定の高得点を楽に出すことができます。
これらからmaimaiというゲームは、高い処理コストの下に身体能力とスライド対策がボトルネックとなるが、解決すれば1ノートの気持ち良さと容易に高得点の達成感を楽しめることが、譜面と動作の関係の間でもたらされる「ゲーム性」として表現できそうです。

おわりに

音ゲーとその「ゲーム性」についてだらだら考えていたことを一つのアプローチとしてまとめてみました。
上述したように音ゲーの「ゲーム性」には他にもいくつものファクターがありますので、それらについてもいずれ論じられたらいいなと思います。

本記事は#音ゲーマー達の発信所 (1枚目) Advent Calendar 2016の企画の一環として執筆されました。